CGクリエイター荒木慎司のサンプリングルーム
装画、装丁、絵本、幻想絵画などの創作活動ブログです
舟崎克彦さんを偲んで3
あの日から2年…。

あの日から2年…。
舟崎さんが旅立たれて早いもので今日で丁度2年…。
あっという間ですね。
最近家の書棚を片付けていると沢山の本に混じって昔の三鷹市の広報誌を発見。パラパラとページをめくってみると舟崎さんのとっても楽しそうな笑顔の写真に遭遇。ついつい全ページを懐かしく読んでしまいました。部分ですがUPしたいと思います。ありがたいことにぼくのことも気遣って名前を出して下さったりして。

舟崎さんが活躍された時代は、今と違って子どもが沢山いて、本を出せば入れ食い状態だったようでいろいろと異業種の横のつながりも強く、ハチャメチャだけど活気があって仕事も遊びも楽しそうで羨ましい限りです。
最後はご病気でちょっと大変だったけど、全般的にとってもいい人生だったんだなとこの広報誌を読みつつ改めて感じます。
残された著書も山のようにあり、ぼくもまだ読んでない本があるので、探してこれからも時々舟崎ワールドに浸りたいと思います。
読まれたことがない方は「ぽっぺん先生」シリーズとかご覧になってみてはいかがでしょうか、お勧めします!

あの日から2年…。
舟崎さんが旅立たれて早いもので今日で丁度2年…。
あっという間ですね。
最近家の書棚を片付けていると沢山の本に混じって昔の三鷹市の広報誌を発見。パラパラとページをめくってみると舟崎さんのとっても楽しそうな笑顔の写真に遭遇。ついつい全ページを懐かしく読んでしまいました。部分ですがUPしたいと思います。ありがたいことにぼくのことも気遣って名前を出して下さったりして。

舟崎さんが活躍された時代は、今と違って子どもが沢山いて、本を出せば入れ食い状態だったようでいろいろと異業種の横のつながりも強く、ハチャメチャだけど活気があって仕事も遊びも楽しそうで羨ましい限りです。
最後はご病気でちょっと大変だったけど、全般的にとってもいい人生だったんだなとこの広報誌を読みつつ改めて感じます。
残された著書も山のようにあり、ぼくもまだ読んでない本があるので、探してこれからも時々舟崎ワールドに浸りたいと思います。
読まれたことがない方は「ぽっぺん先生」シリーズとかご覧になってみてはいかがでしょうか、お勧めします!
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舟崎克彦さんを偲んで2
あの日から1年…。

舟崎さんが旅立たれて今日で丁度1年経ちました…。今だに何だか現実ではないような心持ちです。
「舟崎です!やあ元気?時間が空いていたら吉祥寺で一杯どう?とりあえず近江屋に6時集合で」という渋い声の電話が今でもかかってきそうでなりません…。
この写真は『たんていピンポン!!』が出来た時に本に挟み込んであったチラシのものです。いい感じの表情をされていたのでUPしてみました。ついでにそのチラシにあった紹介文もお人柄を偲ばせるものがありますので載せてみますね。

「本のなかではどこへでも行ける」
この物語の主人公ピンポンは、ロンドンで優雅(?)なひとり暮らしをしている中年の探偵です。子ども向けの本なのに? と思う方もいるかもしれませんが、きっとそれは、おとなの意見です。子どもたちは、おとなが思っているほど子どもではないし、もっとおとなの世界を知りたいと思っているはずです。「たんていピンポン!!」は、そんな子どもたちとおとなの世界とをつなぐ扉……生きていればいろんなことがあるし、大変なこともあるけど、それはすごくおもしろいものだし、「おとなって、けっこういいよな」と感じてもらえる一冊です。 本を開くと、そこには未知の世界が果てしなく広がっています。この本を読んでくれるすべての子どもたちに、冒険心と新しい発見を贈ります。

仏頂面のブルドックの探偵ピンポンのイメージは野村克也。奔放でピンポンを振り回すネズミのお嬢さんのイメージは神田うの、ということをおっしゃっておられましたが、ピンポンは間違いなく舟崎さんご自身を投影されたものでもあったと思います。 出来の悪い一人でポッンとしている学生ほど気になり、大きなキャパで手を差し伸べるタイプの心優しい先生でした…。
尚、現在、豊島区新庁舎3階西面で、追悼企画「舟崎克彦と豊島区」11月30日まで展示されています。
お近くにお寄りの際は是非のぞいてみてください。

舟崎さんが旅立たれて今日で丁度1年経ちました…。今だに何だか現実ではないような心持ちです。
「舟崎です!やあ元気?時間が空いていたら吉祥寺で一杯どう?とりあえず近江屋に6時集合で」という渋い声の電話が今でもかかってきそうでなりません…。
この写真は『たんていピンポン!!』が出来た時に本に挟み込んであったチラシのものです。いい感じの表情をされていたのでUPしてみました。ついでにそのチラシにあった紹介文もお人柄を偲ばせるものがありますので載せてみますね。

「本のなかではどこへでも行ける」
この物語の主人公ピンポンは、ロンドンで優雅(?)なひとり暮らしをしている中年の探偵です。子ども向けの本なのに? と思う方もいるかもしれませんが、きっとそれは、おとなの意見です。子どもたちは、おとなが思っているほど子どもではないし、もっとおとなの世界を知りたいと思っているはずです。「たんていピンポン!!」は、そんな子どもたちとおとなの世界とをつなぐ扉……生きていればいろんなことがあるし、大変なこともあるけど、それはすごくおもしろいものだし、「おとなって、けっこういいよな」と感じてもらえる一冊です。 本を開くと、そこには未知の世界が果てしなく広がっています。この本を読んでくれるすべての子どもたちに、冒険心と新しい発見を贈ります。

仏頂面のブルドックの探偵ピンポンのイメージは野村克也。奔放でピンポンを振り回すネズミのお嬢さんのイメージは神田うの、ということをおっしゃっておられましたが、ピンポンは間違いなく舟崎さんご自身を投影されたものでもあったと思います。 出来の悪い一人でポッンとしている学生ほど気になり、大きなキャパで手を差し伸べるタイプの心優しい先生でした…。
尚、現在、豊島区新庁舎3階西面で、追悼企画「舟崎克彦と豊島区」11月30日まで展示されています。
お近くにお寄りの際は是非のぞいてみてください。
舟崎克彦さんを偲んで
舟崎克彦さんを偲んで
舟崎さんが旅立たれて丁度半年が過ぎました....。去年の10月21日に大学の教務課で舟崎さんの訃報を聞き、余りにも突然だったのでショックで愕然としました。その日はどうやって帰宅したか記憶がないくらいです。亡くなられたとは知らず、10月15日の夜にご機嫌伺いのメールをお送りしても、いつもの様にすぐに返信がないので気にはなっていたんですが、こちらは検査等々で遅れているのだろうと勝手にいいように思っていました....。舟崎さんのお気持ちを配慮し、近親者のみなさまのみのお葬式・告別式だったので、ぼくたちは何のお別れの機会などがないまま今日を迎え、どうも未だに実感がなく漠然とした日々を過ごしております。

相変わらず舟崎さんといつもご一緒した吉祥寺で深酒をすることがあって、ついつい舟崎さんのことを思い出します。あるお正月では、家に送られた来たカニが小さい冷凍庫に入らず、それを肴に呑みませんかとお宅へお邪魔して、気がついたら3日間呑み続けていたことも懐かしい思い出です。しかしよくいろいろな美味しいものをご馳走になり、そして杯を交わしました。最後に呑んだのは去年の5月14日「児雷也」の担当編集者さんと3人で1日かけてタクシーに何度も何度も乗り換え取材し、終えてから不忍池の近くの老舗鰻割烹「伊豆栄 不忍亭」で鰻で一杯やったこと。そしてJR吉祥寺のホームの階段を下って行く白い帽子と白い麻の上下の後ろ姿を見送ったのが最後の最後となりました....。考えてみると、最初に仲良くなったきっかけも吉祥寺の公園口を出たすぐでバッタリお会いしたのが始まりでした....。

いや〜寂しいです。そして最後にあれ程楽しみにされていた「児雷也」の打ち上げが出来なくて本当に残念でした。最後の作品、ご一緒出来て心から幸せでした。そしていつも嫁も含めて可愛がったいただき感謝の気持ちでいっぱいです!!!
舟崎さんからは「何だ~、死ぬのってこんなに自由で素晴らしいことだったのか~!現世を生きている時は思いつかなかったけど、こんなのを創作で書いてみたかったな。真実は想像を超えて本当にすごいな~~!!!荒木くんも早くこっちへ来て一杯やれば楽しいのに...」ってお声が聞こえて来そうですけど。
今頃は堀内誠一さんやエンデさんと語らいながら心置きなくグラッパを呑まれているのでしょうね。

こちらはもう少しこの世での用事を片付けたら、またカニでも手土産をぶらさげてそちらへ伺いたく思います。ので、それまでお元気で舟崎先生〜!
舟崎さんが旅立たれて丁度半年が過ぎました....。去年の10月21日に大学の教務課で舟崎さんの訃報を聞き、余りにも突然だったのでショックで愕然としました。その日はどうやって帰宅したか記憶がないくらいです。亡くなられたとは知らず、10月15日の夜にご機嫌伺いのメールをお送りしても、いつもの様にすぐに返信がないので気にはなっていたんですが、こちらは検査等々で遅れているのだろうと勝手にいいように思っていました....。舟崎さんのお気持ちを配慮し、近親者のみなさまのみのお葬式・告別式だったので、ぼくたちは何のお別れの機会などがないまま今日を迎え、どうも未だに実感がなく漠然とした日々を過ごしております。

相変わらず舟崎さんといつもご一緒した吉祥寺で深酒をすることがあって、ついつい舟崎さんのことを思い出します。あるお正月では、家に送られた来たカニが小さい冷凍庫に入らず、それを肴に呑みませんかとお宅へお邪魔して、気がついたら3日間呑み続けていたことも懐かしい思い出です。しかしよくいろいろな美味しいものをご馳走になり、そして杯を交わしました。最後に呑んだのは去年の5月14日「児雷也」の担当編集者さんと3人で1日かけてタクシーに何度も何度も乗り換え取材し、終えてから不忍池の近くの老舗鰻割烹「伊豆栄 不忍亭」で鰻で一杯やったこと。そしてJR吉祥寺のホームの階段を下って行く白い帽子と白い麻の上下の後ろ姿を見送ったのが最後の最後となりました....。考えてみると、最初に仲良くなったきっかけも吉祥寺の公園口を出たすぐでバッタリお会いしたのが始まりでした....。

いや〜寂しいです。そして最後にあれ程楽しみにされていた「児雷也」の打ち上げが出来なくて本当に残念でした。最後の作品、ご一緒出来て心から幸せでした。そしていつも嫁も含めて可愛がったいただき感謝の気持ちでいっぱいです!!!
舟崎さんからは「何だ~、死ぬのってこんなに自由で素晴らしいことだったのか~!現世を生きている時は思いつかなかったけど、こんなのを創作で書いてみたかったな。真実は想像を超えて本当にすごいな~~!!!荒木くんも早くこっちへ来て一杯やれば楽しいのに...」ってお声が聞こえて来そうですけど。
今頃は堀内誠一さんやエンデさんと語らいながら心置きなくグラッパを呑まれているのでしょうね。

こちらはもう少しこの世での用事を片付けたら、またカニでも手土産をぶらさげてそちらへ伺いたく思います。ので、それまでお元気で舟崎先生〜!